演劇とは何か

こんにちはあきぴでです。

今回は僕が命をかけてきた演劇について話そうと思います。

 

演劇といえばみなさん何を思い浮かべますでしょうか。正直馴染みのない人の方が多いと思います。今まで演劇とか舞台を見たことがない人の方が少なくないと思います。せいぜい学芸会で何か出し物をしたとか、そのレベルの人がほとんどだと思います。

 

今回はそもそも演劇とはなんなのか。それについて話していこうと思います。

僕は演劇とは「人が幸せに生きていく上で不可欠な姿勢」の集合体だと思っております。

どう言うことか。

 

演劇にはセリフがあります。台本があります。完全に決まったシナリオで、完全に決まったセリフが与えられて話は進みます。ですから大抵の人は「演劇って決まった時に決まった感情で決まったセリフをいえば成立するんじゃないの?」と思うかもしれません。ですがそれは大きく違います。怒る時に怒った感情で怒ったセリフを言っても演劇は成立しません。それはモノマネだからです。演劇はモノマネではなくリアルなんです。

 

YouTubeの動画のあるあるネタとか何かのシーンを模した動画のほとんどは演劇とはきっとかけ離れたものでしょう。そのほとんどがモノマネです。何かをしてる風をしてるだけです。演劇ではありません。今回は別にモノマネがどうとか是非をつべこべいうつもりはありません。僕の動画も全部モノマネです。

 

僕がいつも動画のセリフをどういう風に言ってるのかというと、基本的には文章の意味の流れの中でこの言葉を立てようとか、セリフの最後は尻すぼみにならないように、とかそんなことばっかり考えてます。セリフっていうのはある程度、音の抑揚や速さとか声量とかでそれっぽく言えます。これがモノマネです。そこに感情なんてどこにもなく、全てテクニカルな技術だけでそれっぽくできます。

 

でも演劇はそうではないんです。全てその場で起こった本当の出来事、本当の感情、本当の言葉なんです。そこに嘘偽りはないんです。本当に起きるんです。本当に感情が出てくるんです。本当にセリフとしてでなく、自分の生の言葉として言葉が発せられるんです。

 

しかしその嘘をきちんとしたリアルとして自分の中で落とし込むために、リアルを立体として立ち上げるためにいろんなことをします。時代背景を調べるとか、役の職業を調べるとか。だから本当にその場で悲しむんです。本当はセリフなんてなくてこの人が今本当に悲しんでるんじゃないかと思うくらいまで。全てがリアルであり、全てが生なんです。

 

しかしそんなことどうやってやるんだ?と思う人もいるかもしれません。リアルって言っても台本やセリフだって決まってるし、何回も稽古して何回も練習してたらある程度の型ができて、結局決まった時に決まった感情で決まったセリフをいえば成立するんじゃないか?

 

答えはただ一つ「その一瞬一瞬に全力でぶつかって全力で応える」だけです。

 

セリフや現場の空気感はいろんな状況に左右されて変わります。その人の体調だとか、機嫌だとか、周囲のモチベーションだとか。その日その日で毎回微妙な気持ちや空気の差があるんです。その全てを今この瞬間受け入れて、それに全力で応えるんです。あ、こいつ今日元気だな、じゃあ俺もそいつのエネルギーもらってやってやるか、とか。あ、今日なんかみんな緊張してるな、おもしれえ、ゾクゾクするぜ、やってやるか、みたいな。今この瞬間を敏感に感じ取るんです。だからリアルなんです。そこで自分だけ決まりきったセリフをしたら途端に浮いてしまいます。決まりきった感情なんてないんです。筋書きは同じでもそこで繰り広げられるストーリーの濃淡は毎回違うんです。だからリアルなんです。この今この瞬間を紡いでいく作業こそが演劇なんです。

 

みなさんになんとなく演劇について理解してもらえたかなって勝手に思ってます。

そこでなんでそれが「人が幸せに生きる上で不可欠な姿勢」なのかについて説明していこうと思います。

これは本当に単純で、一年前くらいに僕ベストセラーの「嫌われる勇気」とか岡本太郎「自分の中に毒をもて」とか結構自己啓発の本を読んでいたんですけど、その時に全く同じことが書かれてたんですよね。幸せに生きることっていうのは「今を受け入れてその場その場の感触で生きていく」みたいなことが書かれてて、あ、これ演劇だ!って思ったんですよね。だからこれは理論づけとか特になくて、この本に同じことが書かれてたからそう思ったってだけの話です。

 

まあでもそうじゃなくてもこれを説明するのはそんなに難しい話じゃなくて。僕の動画に前あったんですけど「東大なのにこれもわからないの?俺は中央法学部だけどこのくらいわかるよ?」みたいなコメントがあって。これって過去に縛られてるんですよね。多分過去の学歴コンプが今拗らせてこんな形になってると思うんですけど、これって今の自分を受け入れてないんですよね。昔の何かを引きずったまま、今目の前で起きている出来事を純粋に楽しめてないというか。だからこの本の書かれてることもあながち間違いじゃないというか。結局今を一生懸命生きるかどうかなんですよね。

 

受験生に寄り添いたいとか言ってるのもそうなんですよね。受験生に大学が全てじゃないとか先のこと言っても仕方ないんですよね。受験生には今しかないから。今合格するかしないかを必死で生きてる受験生からしたらそんな文句は逃げでしかないんですよ。合格になろうがならまいが、目の前の受験生から逃げない。目の前で不安になってるならこっちも全力で支えたいし、目の前でめっちゃ喜んでるならこっちも全力で喜びたいし。僕の中の寄り添うっていうのは目の前のそいつを全力で受け入れて全力で応えるってことです。

 

まあそんな感じです。みんなにとって演劇が少しでも身近に感じてくれたら嬉しいなって思います。ご成長ありがとうございました。